Nov 26, 2009
注文家具は耐震も万全
リフォーム時、キッチン家具も一新。今後も十分に役割を与えるかのようなサイドボードだけは残した。その横に食器戸棚を作ってくれと言った。注文家具です。台所のサイズに合わせて収納が、サイズに合わせて分割いただいた。ナイスバディで製作して使いやすい。何よりも安心は食器棚にも食器戸棚も若干の地震が倒れないようにしっかり止めてくださったこと。耐震も万全です。注文家具のメリットではないだろうか。現在住んでいる実家はもう30年以上の築年数が経っています。そのために、エコハウスにしていきたいと願っています。エコハウスにすると、様々な節約を行うことができます。エコ活動は買い物袋をもらわないし、また、リサイクルをしたりして実践しています。実際の住宅にもエコ活動をしていきたいと思っています。
終戦前夜。熊谷市は全国最後の空襲により、一晩で焼け野原となった。「まるで地獄だった」。生き延びた一人、室田好男さん(89)=熊谷市宮本町=は、戦後66年が過ぎた現在も、あの時の惨状が忘れられない。二度と戦争が繰り返されぬよう祈りを込め、戦争を伝える冊子の作成に力を注ぐ。【藤沢美由紀】
当時23歳の室田さんは、旧満州(現中国東北部)の百貨店社員だった。仕入れのため1944年に帰国したところ戦況の悪化で戻れなくなり、熊谷市の実家で暮らしながら市内の砲弾工場に勤めていた。
8月14日夜。空襲警報のサイレンで目が覚めた。ブオーンブオーンと飛行機の大きな音が聞こえ、外を見ると周囲の家々が燃えている。玄関で靴ひもを結んでいると、屋根を突き抜けて落ちた焼夷弾が目の前で黄色い火を噴いた。
「ここは危ない」。室田さんは庭の防空壕へ駆け、中で震えていた祖母や母ら家族7人に近くの土手へ逃げるよう指示した。自らは家の中を確認した後、ヘルメットの上にぬらした座布団を載せて、炎に包まれた道を走り出した。
「花火が落ちるように」焼夷弾と火の粉が降り注ぎ、通りは叫びながら逃げる人々で大混雑だった。多くの人とともに芋畑に逃げ込むと、爆音とともに雨が降ってきた。「恵みの雨だ」。喜ぶ声が上がったが、なめると油臭い。「こんちくしょう」。焼夷弾を落とす際に米軍がまくガソリンだった。悔しくてたまらなかった。
翌朝、畑の中で目を覚まし歩き出した。見渡す限り焼けた町。だが柱にまだ火がくすぶる自宅の前で、家族全員と会えた。夕方ごろ配られたおにぎりをほおばっていると、「日本は負けた」とうわさが聞こえた。「負けたのに空襲されたのか」。信じられなかったが、ニュースを聞こうにもラジオも何もなかった。
16日、市街地から離れた親戚宅を目指し、焼け跡の町を歩いた。途中、市の中心部を流れる星川沿いに出ると、水がなくなった川が黒く焼けた死体で埋まっているのが見えた。「怖くて、惨めで、本当に悔しかった」。
室田さんは戦後、印刷業を起こし、約20年前に引退した。90歳を前に、「あの空襲で幼くして亡くなった子供もいたのに、私は90歳まで生かされた。その感謝と、みんなが戦争を忘れないよう悲惨さを伝えたい」と考えたという。
昨年末には「戦争を語る」と題して熊谷空襲を含む戦争の体験談を集めた約200ページの冊子を発行した。今後、さまざまなテーマで戦争を伝える冊子を第10号まで作り、図書館などに寄贈するつもりだ。「生きている限り、戦争は絶対するなと言い続けたいんです」
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■ことば
◇熊谷空襲
1945年8月14日午後11時ごろ、米軍による本土への最後の爆撃が熊谷市を襲った。市街地の約7割が焼け、死者266人、負傷者は約3000人と、県下最大の被害をもたらした。
8月14日朝刊
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任期満了に伴う毛呂山町議選(定数14)が16日告示される。これまでに18人(現職8、新人8、元職2)が立候補の準備を進めている。投票は21日午前7時から午後8時まで。7月31日現在の有権者数は3万105人。【内田達也】
8月14日朝刊
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◇情報公開、スピード感を−−樫山宏さん(65)
一般県民の視点から県警を管理し、公平・中立な警察行政を求める県公安委員会の委員長に7月10日、就任した。会見では「委員長の重責を果たせるように頑張りたい」と抱負を語った。東京都杉並区の出身。秋田大鉱山学部で機械工学を学び、父とその兄弟が起こした機器メーカー「樫山工業」に入社。89年に社長に就いた。
もともとは銅合金を加工する下請け企業だったが、社員時代から「自社ブランドを作る」と意欲を燃やし、半導体の製造工程などで使う「真空ポンプ」の製造を始めた。「(実績がないので)最初は取引先から信頼されなかった」という。だが、世界を相手に競争するうち、半導体業界の成長もあって、今や真空ポンプのシェアは日本の業界トップ、世界でも2位の大企業に育て上げた。「徹底して顧客に情報を公開したこと。スピード感を持って対応したことが信頼につながった」と振り返る。
公安委員長としても「情報公開」と「スピード感」を県警に求める。インターネットなどの情報通信技術が発達し「県警が情報を操作しようとしても必ずどこかで漏れる」と指摘。また、組織内で問題が発生した時は「とにかく早く報告して解決策を練る方が良い。対応が遅れれば遅れるほど『うそにうそを重ねる』ことになる」と語った。
望むのは「県民のニーズを先取りする県警」。9年連続で減少した県内の刑法犯認知件数を「一生懸命やっている」と評価する。その一方で、事件にはなっていなくても、県民が何らかの相談に訪れた時は「事件を未然に防ぐ意味でも、一歩踏み込んで対応していく必要があるのではないか」と話す。そのため、県公安委員長として「相談事案についての対応方法などのガイドラインやモデルケース作りを促したい」と意欲を示した。
趣味は「ギリシャ神話から幕末など歴史に関する本を寝る前に読む」こと。「先人の考え方、行動がヒントを与えてくれる」という。ワイン好きで、安曇野ワイナリーも経営する。「10年以上寝かせて飲む日を待つのが楽しみです」【小田中大】
8月14日朝刊
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